おひとりさまを ご機嫌に。

ご機嫌な気持ちを大切にする毎日

廃墟となったふるさとにYouTubeで再会

先日近所をお散歩していて🚶‍♀️
街の輪郭にふっと懐かしさを覚えました。
自宅から少し坂を登って近くの図書館に
行く時のことです。

左手に並ぶマンションや住宅の向こう側は
やや視界が広がり遠くの街並みを見渡せます👀

右手に並ぶお洒落な戸建て群の先には
緑色の小高い丘とその上に学校🏫があるのです。

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何かなあ。と暫く気になってたのですが
気付いてしまいました💡



幼い頃住んでいた街の地形に似ているのです。
もちろん昭和の建物と
令和では全く別物ですが
坂道の勾配とか
そこから見える空の感じとか。


そこに住んでいた記憶の中に
2歳年上の姉が幼稚園に行くのを
見送っているシーンがあるので
3歳か4歳の頃には住んでいたと思われます。

幾つかの断片的な記憶を繋ぎ合わせると

父も母も若くて元気で👦👩
姉とよく喧嘩して
たまに祖父母が訪れ👴👵
近所のお姉さんたちがしょっちゅう遊びに来て
猫を飼っていました🐈
友達と良く家の庭でおままごとをしてました。

坂を下りたとこに住んでる
同じ幼稚園の男の子と
帰りが時々一緒になり
嬉しかったので
多分初恋というやつだったのかもしれません😊
(青木くん、という名前だったのを急に思い出したりしてる) 

幸せな子供時代だったのだと
思います。


でも今はその街はありません😢


炭鉱都市だったそこは
最盛期の頃は
近代的な炭鉱住宅🏘や
当時としては斬新なデザインの学校🏫
設備の整った病院🏥などが建設されて
活気に満ちてました⤴️


姉が入学した小学校に自分も早く行きたい!
と熱望してたそんな頃。

…炭鉱は閉山に追い込まれ
住人は次々と街を捨て
我が家も父の再就職先である札幌へ
引っ越すことになりました。

引越しの日は
たくさんの人が手伝いに訪れ、
捨てられるのを察してか飼い猫が
荷物の棚の中から動かず、
街を離れる時に乗った汽車で母の知り合いが
本を渡してくれたり。

暫くはその日のことを
幼いながらも
何となく哀しみ色で時折思い出していました。

当時は知らない言葉でいうところの
ノスタルジーですね。


そんなふるさとの街を最近になって
何となーくネットで検索してみたら
YouTubeで幾つかの動画見つけたのです😳

半世紀ぶりに。

廃墟巡り、というちょっと風変わりな
趣味を持つ方々には
割と有名どころのなのだとか😳

一時は自然公園として
観光施設などもあったようですが
今は住む人もなく
取り残された建築物が
年と共に朽ち果て
少しずつ木々に覆われて
熊もよく出没するとかで
近づくことも出来なくなりつつあり
あの憧れていた小学校の体育館も
2年前に屋根が崩落していました。

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そんな廃墟の映像の中に
当時の街の面影がちらちらして
胸がいっぱいになりました。


姉にも教えなくてはと、メッセ送ると
なんと…
数年前に訪れたのだそうです😳

黙っていたのは
余りにも衝撃が強く、寂寥感が深すぎて
その感情を上手く言い表すことが
難しかったのだそうです。
行ってみようかなと言った私に
やめておいた方がいいと思う、と言います。

それを聞いて
室生犀星の有名な詩が思い出されます。
まさにふるさとを訪れて去る間際、
姉が感じたことなのだろうなあと
思うと、やはりYouTubeでの再会にとどめておこう。と考え直してみたりしているのです。


【ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや】